中学の修学旅行で訪れた島に感動。親に反対されても「行きたい!」
ことねさんと広島の大崎上島(おおさきかみじま)の出合いは、中学3年生のときに修学旅行で訪れた民泊。広い海と空に囲まれた島の風景と優しい島の人たちに心奪われたのだ。「地元は大阪。車が走る音が聞こえる環境で育ったので、島では鳥や虫の鳴き声があちこちでして、感動したんです。とにかく新鮮でした」(ことねさん)
そして、この大崎上島では、県外から高校へ入学できる制度があることを知る。「だから、思い切って、親に”大崎上島に行きたい”とお願いしたんです。でも、最初は却下。そのあとは、地元の大阪の高校に進学するつもりで学校見学をしていましたがどこもピンとこなくて……。どうしてもあきらめきれず、親と一緒に11月に個人的に学校見学をさせてもらったところ、”そんなに行きたいなら”とOKしてくれました」
寮生活は大変。人見知りも発動。慣れるまでには時間が必要
そして晴れて入学。しかし、親元を離れての寮生活は不慣れなことも多かった。掃除、洗濯、整理整頓、これまで親任せだったことも、すべて自分たちがやらなければいけない。食事や風呂の時間、門限など、集団生活ゆえのルールも多い。
「一番は、時間に縛られることがしんどかったですね。食事も食べたいときに食べるわけじゃない。1人部屋だったので、ある程度プライバシーは守られますが、やっぱり家族と過ごすのとはまったく違います。入学前はワクワクしていて、不安なんてなかったのに、5月にはホームシックになってしまいました」(ことねさん)
また、人見知りで自分から話しかけるのが苦手だったことねさんにとって、生まれたときからずっと一緒という島の子たちの輪に入るのは、なかなかハードルの高いことだった。
「そこはもう、腹をくくるしかないって。席の近かった子に勇気を振り絞って話しかけたりしました。でも島の子たちは島の子たちで大阪出身の私が珍しかったみたいです。寮生とはずっと一緒なので、自然と共通の話題も増えてきました」
集団生活の息苦しさも、友達づくりの難しさも、特別な出来事があったわけではなく、「自然と」「慣れた」ということねさん。
「中学生の時は親に朝起こしてもらっていたけど、ここでは時間を管理するのも自分でやらなければならないんですよね。朝5時に起きて朝ごはんの前に勉強の時間をつくったり。自分で考えて生活スタイルを考えるようになりました」
「学校PR動画をつくりたい!」同級生や大人を巻き込んで完成へ
そしてことねさんが学生時代に取り組んだのが「みりょくゆうびん局」での活動だ。これは、もともと大人たちが地域活性化の一つとして行っている「高校魅力化プロジェクト」に、当事者の高校生も参加してみませんか? という試み。「せっかく地元を離れてきているんだし、やってみようかな」と考えたのだが、もともと引っ込み思案だった彼女にとっては大きな挑戦だった。
当初はPR担当として、顧問の先生たちがアレンジした活動に参加することが多かったが、そのうち、自分でも“なにかやってみたい”と思うように。それがPR動画だ。
「島根の津和野高校で高校生が自らつくったPR動画を見て、”こんなのをつくってみたい”と思うようになりました」
制作期間は2年生の冬~3年生の夏。一緒に考えてくれるメンバーを募集したり、顧問の先生を通して”瀬戸内ドローン推進協議会”に全面的な協力を得ることができた。完成したのが以下の動画。始業式で流したところ、大反響だったそう。
学校紹介ムービーをYouTubeで公開。煌めく青春と島の美しさは必見! 「塾の先生が自腹でGoProを買ってくれて、それで撮影したり、大人たちもたくさん巻き込みました」(ことねさん)
ただ、道のりは平たんではなかったそう。ことねさんは、自称”リーダーには向かない性格”。会議を進行させたり、意見をまとめたりするのは大の苦手で、他人にお願いするくらいなら、自分で無理をして背負い込んでしまう方だった。
「でも、1人でできることには限界があると痛感。考えも煮詰まってしまう。みんなで案を出し合ったり、方向性を整理することを学びました。なにかお願いするときも、声かけひとつで相手の気持ちが違ってくるんですよね」
本音をいうと、学校を辞めようと思ったこともあった
豊かな自然に囲まれた中で、高校生活を満喫したことねさん。しかし、実は「もうだめだ。大阪に戻ろう」と思ったこともあったそう。自分で望んだとはいえ、15歳で親元を離れ、新たな人間関係の輪に入ろうとすることは想定以上のストレスだったのだ。ささいなことでも気になったり、常に緊張を強いられる生活に限界を感じた。
「私はその日にあったことを全部家族に話すのが習慣だったので、やっぱりさみしかった。私にとっての家族は“絶対的な味方”。そんな味方でいる人たちのもとに帰りたいと何度も思いました」
しかし、大好きな家族が送り出そうとしてくれたのだからこそ、「ここが頑張りどころだ」と踏ん張ったのだ。
そんなときに頼りになったのは「ハウスマスター」という、寮で高校生と一緒に生活をしながら、相談に乗ってくれるお兄さん、お姉さん的な大人の存在。大島海星高校のハウスマスターである伊達綾子さんにもお話を伺った。
「集団生活は楽しいことばかりじゃないし、生活習慣も価値観も全く違う子どもたちが一緒に生活するわけですから、当然、あつれきも生まれます。そんなときに、それぞれ話を聞いたり、寮生同士ができるだけ誤解なく関わり合えるようにサポートするのが、私たちの役目。ことねさんも最初のころはネガティブに考え込むことが多かったですが、”島でも、あなたにとって大事な人からは、家族と同じくらい大事に思ってもらえているよ”とということが伝わるように、見守りました」(伊達さん)
大事な人から大事にされているーーーその筆頭格は”島親さん”だ。海星高校では、寮生1人につき「島親さん」がつく。中学時代、民泊させてもらったご夫婦が、ことねさんの島親だ。「今ではもうひとつの実家のよう。”いつでも帰っておいで”とおしゃってくださるので、卒業しても年に1回帰ろうと決めています」(ことねさん)
そして、ことねさんの頼れる味方は、公営塾「神峰学舎」の先生たち。大崎海星高校たちのための塾で、なんと無料。放課後もしくは部活動が終わった後など、各自好きな時間に訪れ、夜の20時まで宿題や受験勉強のサポートをしてくれる。人数が少ない分、距離感が近い。情報が少なく、ともすれば勉強のモチベーションを保つのは難しい島生活だからこそ、生徒一人一人の意思を尊重して、進学・キャリアの相談をしてくれる神峰学舎の先生たちは、島の高校生たちの力強いサポーターだ。「塾通いは1年のときから、私のほぼルーティン。3年になってからは毎日、放課後から20時まで通っていました。先生たちの助けがなかったら、受験を乗り切れなかったと思います」(ことねさん)
3年間で180度変わった自分。未来へ大きく前進
今年の3月に大島海星高校を卒業し、春からは関西学院大学に入学が決まっていることねさん。この3年間で自分はどんなふうに変わったと感じているのだろうか?
「中学校までは本当に自分に自信がなくて、“私なんか”が口ぐせ。でも、高校3年間で、自分って意外とできることあるんじゃないって思えるようになりました。昔ならきっと目指さない大学を挑戦しようと思ったこともそのひとつ。正直、受験は大変でした。一般受験する子が周囲には少なくて、前なら”もう無理だ”って諦めちゃったと思いますが、今回、勉強を頑張ったことも自信につながりました」(ことねさん)
また、人前に立つこと、目立つことが“超苦手”で、中学のころは後ろに隠れてばかりだったというが、今ではプレゼンも得意に。
「島では生徒数が少ないので、後ろに隠れられない(笑)。人前に立つ機会が自然と多くなるので、鍛えられました。こうした取材を受ける機会も多いです」(ことねさん)
ハウスマスターの伊達さんも「今まで3年間頑張ってくらいついてきたことが、彼女の力になって、全部結果として返ってきたと思います」と証言。
何より、その変化を一番実感しているのは親御さんだ。
「母に”私って変わった?”と聞いたら、”すっごく変わったよ”と即答されました。“昔は、学校では大人しくて言いたいことを言えないから、けっこう家でストレスを発散してたけど、それがなくなったね”って言われたんです。寮生活のなかで、自分の感情を上手くコントロールできるようになったのかなと思いました」(ことねさん)
これからは実家のある大阪での大学生活が始まるが、広島での高校3年間が今の自分を大きく変えたという、ことねさん。
「あのとき、親にも反対されたのに、どうしても行きたくて、地域みらい留学のパンフレットの言葉を暗記するほど読み込んだんです。いつも消極的な私からすれば、考えられないほど前のめりだった。どうしてだろう。ここだって直感的に思ったんです。あのとき、決断してよかったと本当に思います」(ことねさん)
楽しかった。でも楽しいばかりじゃなかった。そしてすごく頑張った。
そんなことねさんが、どんな未来を描くのか、これからの挑戦が楽しみだ。