郊外での暮らしを変える「富士見台トンネル」
20代のころ、引越し先を探していて、郊外の団地を見に行ったことがある。すぐにここには住めない、と思ってしまった。スーパーはあるが、夜までやっていそうな飲食店がほとんど見当たらない。一人でふらりと立ち寄れそうなカフェもなかった。
歳を重ねた今なら団地の住みやすさも分かるが、当時は仕事からの帰りも遅く、毎晩料理するのは無理だと思っていたし、何より夜が早いまちはつまらないと思った。
一方、結婚して子育てする時期になると、多くの働く女性がこうした郊外から都心に通う。子どもの送り迎えに満員電車での通勤、帰ってから買い物に家事……などが続くと疲れてしまい、離職や不本意ながらキャリアを捨てて近場への転職を考えるようになる。私にもそうした友人がいた。
同じような状況に直面する人は案外たくさんいるのではないか。そう考えた人がいた。建築家の能作淳平さん。郊外での暮らしをより面白い刺激ある場所に。かつ、住むまちに魅力的な働く場をつくる試みとして。
「富士見台トンネル」はそうして始まった。
団地の可能性
JR南武線の谷保駅(東京都)より歩くこと5分。白いアパートが立ち並ぶURの団地が見えてくる。その手前にあるのがむっさ21富士見台名店街。電気屋や文房具屋の並びに、ガラス張りでおしゃれな暖簾のかかった一見何屋さんか分からない店が目に入った。
ここが「富士見台トンネル」。能作淳平さんが始めたシェアする商店である。
訪れたのは朝の10時。おそるおそる店の戸を開けると、白いカウンターが奥のほうまで伸びていて、その日営業する「Cafe Himmel」の2人が開店準備中だった。カウンターの奥がオフィススペースでもあり、能作さんが迎えてくれた。
さっそく、なぜ谷保だったのか、から聞いてみた。
「もともと、都心のあちこちに賃貸で住んでいて楽しかったんですけど、結婚して子育てするとなると不便もあって。妻の実家があきる野市なので三鷹から立川の間くらいがちょうどよかったんです。でも35年ローンで家を買うのは、僕にとっては自由度もないし時代錯誤な気がしたんです。それでリフォームできる賃貸を探していたら、この近くの団地に見つかって」
URが提案している「DIY住宅」の企画。これを本格的にフルリノベーションを行うことに。建築家の本分を活かし、自主施工で団地の部屋とは思えないような空間をつくりあげた。
「住み始めてみると、団地ってすごく住みやすいんです。緑が多いし空気もいい。クリエイティブな仕事をするには最適で。都心に住む友人たちにもこっちに住めばって声をかけたんですが、誰一人移り住もうって人はいなかった(笑)」
自身もその理由に気付き始める。
「サロンがないのが大きいんだなって。都心に住んでいたころは、生活らしい生活ではなかったけど、外で食事して、毎晩そこに集まる人たちとクリエイティブな話をしていたんです。そこで受ける刺激って大きかったんだなと。郊外では新しい人や考え方に出会う場が生活の中に少ないことに気付きました」
「子育てか、仕事か」の二択は、何かがおかしい
さらに、富士見台トンネルを始める直接のきっかけになったのが、妻の転職だった。能作さんの妻は、もとはワインの輸入販売の会社に勤めていて、店長を任されるほどの主戦力として働いていた。
ところが団地に移り住んだことで、毎日都心へ、満員電車で通わなければならなくなった。
「一人目の出産の後は頑張って通っていたんですけど、二人目の時、さすがにもう辞めようと。体力的にも負担が大きかったし、時間をかけて通勤する効率の悪さが本人も嫌になったんだと思います。
近くに事務職の仕事が見つかって転職しました。でもせっかくワインの知識も豊富で、築いてきたスキルがあるのにそれを活かせないのは僕から見てももったいない。社会にとっても損失じゃないかと思ったんです」
ゆったりしようと思って郊外に住んだのに、自由度がなくなり体力にも負荷がかかってより大変になっている。子育てもとても大事な仕事だけれど、そもそも「仕事を取るか、子育てを取るか」の二択を迫られるのはおかしいのでは、と思えた。
「僕らの悩んでいることって、明らかに都市の構造の問題だなって気付いたんです」
妻のスキルを活かす場として、家から近い場所に店を出そうと考え始める。能作さんのオフィスを兼ねれば、週末だけなどマイペースに営業すればいい。ところがこうも思った。「僕らと同じような人って、ほかにもけっこう居るんじゃないかって」
それならシェア型にしてやってみるかと、2019年11月、シェア商店「富士見台トンネル」をオープンする。
個性的な店にお客さんがつくスタイル
いま、富士見台トンネルには、さまざまなお店が出店している。公募をしたわけではないが、口コミなどで自然と広まった。創作おはぎの店「おはぎびより」、朝だけお味噌汁を出す「御御御(おみお)」、マカロン専門店、クナーファという中東のお菓子に特化した店、など個性的な店が多い。
富士見台トンネルのインスタグラムを開くと、月間スケジュールが表示される。
例えば水曜の午後はクナーファの店、金曜のランチはカフェヒンメル、土曜午後はおはぎびより……といった具合。
定期的に出店する店が優先的に日時を決め、それ以外の店が空いている日時を選ぶ。使用した分だけ時間制で場所代がかかる。売上マージンは一切取っていないため、売上はすべて各店に入る。
訪れた日に営業していたのが、「カフェヒンメル(Cafe Himmel)」。すでにファンがついているのか、ランチの時間になると、次々に女性客が入ってきた。
客足が落ち着いたころに、店長の松尾さつきさんに声をかけてみた。
なぜ、ここでお店を?
「近くで妹が店をやっていて、そちらがヒンメルの本店なんです。私は本業が薬剤師で土曜日だけ妹の店を手伝っているんですが、ここのスタイルを知って、自分でもやってみようかなと。個人的にアフリカンアメリカンの料理に興味があって、お客さんに食べてもらえるのがすごく楽しくて。月に2回、お昼だけですが、楽しんでやっています」
いま出店者の約半分は松尾さんのように本業とは別で楽しみながらお店をやっている人たち。もう半分は、ゆくゆくこの道で独立したいと頑張っている人たちなのだとか。
まちのタレントを発掘してつなぐ
富士見台トンネルの名前には、このまちに眠るタレント(才能)を“掘ってつなぐ”という思いが込められている。
インスタグラムに並ぶ写真、お店のラインナップを見ていると、それぞれが個性的な、魅力あるお店ばかり。そして、並んだときに違和感のない世界観が感じられる。
こうした複数の人や店が同じ場を共有して使うとき、最も問われるのは、そのキュレーション力ではないかと思う。
「ある程度、各お店に僕からも意見を言うようにしているんです。お店を始めるとき、ブランドとして完成されているところの方が声をかけやすいしお客さんを集めやすいと思ったんですけど。それだと、マルシェなどどこへ行っても同じいつものメンバーになっちゃう。それじゃつまらないと思って。まだ知られていない新しい店だけで始める方が面白い。その分まだ方向性が確立されていないところが多いので、一緒に話し合いながらブラッシュアップしていくスタイルを取っています」
例えば今人気の「おはぎびより」。最初からとても美味しかったけれど、よりオーソドックスなおはぎが多かった。価格設定を少し高めに、レシピももっと目新しいものにと能作さんのアイデアも加わって、洗練された見た目にもかわいいおはぎ屋さんができた。
中に入れば開放的でオープンだが、入口はあえて何の店だか分かりにくいように工夫されている。少し怪しげなくらいがサロンとして魅力的。個性的な店と感性の合うお客さんだけが自然と入ってくるような工夫だ。
いま、全国的にシェアと名のつくサービスはたくさんある。シェアハウスやシェアオフィス、シェア店舗。スペースやコストを物理的に分かち合う意味での“シェア”が大半。それはそれで利にかなっているのかもしれないが、ただのシェアでは分かち合う以上の価値は生まれない。
「富士見台トンネルでは、分かち合うシェアではなくて、持ちよるシェアを目指していて。会員さん同士も仲がいいですし、カウンターの内側でクリエイティブな発想がどんどん生まれたらいいなと思っているんです。先日も、ノンアルコールバーをやったんですが、マカロンの専門店に、おつまみマカロンを出してほしいと依頼したらあっという間にコラボが成立して。そういうのが楽しいなって思うし、お客さんもそういう店のほうが楽しいと思うんです」
そうしたコラボがぱっと成立する状況を、「ウォーミングアップできているメンバーがそろっている」と能作さんは表現した。
まちに眠るタレントを発掘して、いつでも発揮できるよう、日々技を磨くことのできる場。都市郊外でも、もっと地方であっても、こうした個人のスキルを活かせる場が、いま各地に求められているように思う。
富士見台トンネル
instagram:@fujimidaitunnel