親が死去して相続した思い出の古民家。取り壊すのはしのびない
あなたが生まれ育った家に、現在、住んでいる人はいるでしょうか。両親が元気に暮らしているという人もいれば、老親が1人で暮らしている、家族が他界、施設に入っているため空き家になっているという人も少なくないはず。本格的な人口減少社会を迎えた今、日本各地でじわりと「空き家」が増えつつあります。
東京都郊外、東村山市にあった日本家屋もそんな建物のひとつでした。1958(昭和33)年に建てられた古き良き日本の住まい、離れの2棟ありましたが、2014(平成26)年にこの建物で暮らしていた主が亡くなり、空き家となっていました。受け継いだのは、川島昭二さん。東村山駅から徒歩10分圏内、府中街道沿いということもあり、建て替えて、不動産投資にしないかという話も多く寄せられたといいます。
「私は今も近くに暮らしているので、月に数回、庭の草取りなどに通い、どうしようかと迷っていました。この家で生まれ育って、隣は天王森不動尊。懐かしく、思い出がつまった建物と風景を、壊してしまうのはどうにもさみしくて、決めかねていたんです」(川島さん)
そんな川島さんが相談を持ちかけたのが、地元の工務店・大黒屋の袖野伸宏さん。
「まずは築30数年の離れとなっていた建物をリノベーションして貸し出そうという計画になりました。ただ、築年数60年経過した母屋には風情もあって、取り壊すのはもったいない。川島さんご両親が残したモノもたくさんおいてある。どうしたものかと不動産や建築関連の友人・知人と相談していたんです」と話します。
とはいえ、築年数が経過し、敷地を囲むようにつくられていたブロック塀は地震で崩れてしまう恐れもあり、建物も放置するほどに傷んでいきます。どうしようか決めかねていた袖野さんは、思い切って川島さんにある提案をします。
「まだどうするか活用方法は何も見えないけれど、もし大黒屋で借りたいといったら、貸してくれますか? と話したんです。弊社も事務所が手狭になってきたし、社員が使ってもいいなあくらいの考えでした。川島さんは、『いいよ』って気軽に言うんです(笑)」
思いがけない展開に、川島さんはどう思っていたのでしょうか。
「やっぱり地元の会社で長く続けている工務店なので、安心感や信頼感があり、建物を残してもらえればいいよとおまかせすることにしました」とにこやかに請け負ったといいます。
アトリエ、コーヒースタンド、シェアキッチンなどの複合施設に
その後、大黒屋の袖野さんが地域の人たちに「借りたい人はいない?」という声をかけていき、プロジェクトとして本格的にスタートします。和紙造形作家のにしむらあきこさんや編集やデザインをしているハチコク社さんたちと出会うことで、母屋は「OFF/DO BOOK LOUNGE」「アトリエ&ギャラリー 紙と青」、それにハチコク社のオフィス、離れはシェアキッチンの「木づつみのえん」となることが徐々に決まっていきます。そして、2019年5月には複合施設「百才(ももとせ)」として、地域にひらかれた場所としてお目見えしました。
家を「地域に開く」というのは、まだまだ新しい考え方です。そのため、お二人とも「家を開く」という考え方はご存じなかったようですが、「建物を残したい」「どうやって建物を有効活用できるか」「モノをつくる人や地域の人が集まる場所にしたい」などと考え抜いた結果、今のかたちになりました。シェアキッチンなどの利用は予約が必要ですが、ふらりと寄れるおばあちゃんの家の庭のような「ゆるく開かれた場所」になっています。
近所の子どもたちはこの庭で、泥だらけになって遊んでいるといいます。
「あまりにも泥だらけになるので、手洗いだけでなくて、足洗い場をつくったんですよ。子どもは木の葉一枚で楽しい。遊びの天才です」と袖野さん。
「建物が完成して、周囲にお披露目会をして驚いたのが、地域の関心の高さです。ご近所に住む人から市長まで、どんな場所になるのか楽しみにされていて、期待を寄せていただいているのが分かりました。プロジェクトを動かすなかで、東村山に眠っていた価値に改めて驚かされましたし、建物や不動産の持つ可能性、工務店ができることを再発見できました」と袖野さん。
「今も散歩がてら庭の手入れに来ていますが、子どもたちが遊ぶ姿は、かつての自分たち家族の風景を見るようです。建物を残すことで、ふるさとへの愛着や思い出を残していけたら、こんなに幸せなことはないですよね」と川島さん。
今はコロナ禍で、多くの人が集まることはできませんが、時期を見計らって庭や母屋を使って、「流しそうめん」「すいか割り」「わらべうた」「餅つき」「コマ遊び」など、日本の暮らしや遊びを伝えていけたらとスタッフのみなさんは考えているそう。現代の子どもたちがこうした建物と遊びふれることで、「日本にかつてあった暮らし」の思い出をつくっていけるのは、本当に幸せなことですよね。自宅を地域に開くことで、自分も周囲も豊かになる、そんなすてきなケースといえるでしょう。
鎌倉にある自宅をコワーキングスペースに。人とつながるうれしい“想定外”も
自身と家族が住んでいた家を手入れして、そのまま地域に開いた人もいます。コワーキングスペース、イベントスペース、シェアキッチンとして使われている「ハルバル材木座」です。
2021年3月、会社を早期退職した伊藤賢一さんが立ち上げた場所で、現在、コロナ禍でもありますが、「イチゴについて雑談する会」「さくら貝をつかったスマホケース製作」「お茶会」などさまざまなワークショップが開催されています。内容を聞くだけでも、おもしろそうですよね。
「単なるイベントスペースは味気ないことが多いですが、この場所は住まいだったこともあって、ぬくもりがあり、そうした点を気に入ってくれる人が多いようです。昨今、コワーキングスペースは増えていますが、多くは企業が運営していて、仕事をする場所。会話や雑談がしにくいところが多いですよね。でも、ここは、利用者の方が許せば『私が少しばかりお節介を焼いてお手伝い』することにしています。雑談するなかで、人と人を引き合わせることができたり、新しい発見があったり。コロナ禍だからこそ、人と話すことの価値が見直されている気がするんです」と話します。
伊藤さんは、もともと「退職後にやってみたいこと」として、地域で人と人の繋がりを創り出す仕組みづくりを考えていたそう。
「今回、『家を開く』にあたって、ご近所にあいさつに伺いましたが、前向きな言葉をいただくことが多かったですね。人が地域に集まることにおおらかというか、鎌倉や材木座という地域に愛着がある人が多いように思います」と話します。伊藤さんの語り口調は本当に穏やかで、紳士。仕事というよりも、伊藤さんと話したくなる気持ちになります。利用者の女性に話を伺いました。
「住まいと勤務先は東京ですが、鎌倉のヨガスタジオに通っていて、どこかひと息つける場所をということで、この場所を見つけました。伊藤さんとのお話も楽しいし、鎌倉という街が好きで、鎌倉に自分の居場所を見つけられたように思っています。東京も楽しいし、鎌倉にも拠点がほしい、私にはぴったりの場所でした」といいます。
オープンして半年も経過していませんが、こうした声は少なくないようで、鎌倉との接点を探していた人や、人や人との出会い、新しい発見につながっているよう。
「長野県茅野市にある両親が住んでいた家が空き家になっていました。実はこの『ハルバル材木座』での出会いがきっかけで、『ハルバル茅野』という形で活用してもらえる人が見つかったんです。この場所が海の家なら、茅野は山の家。どちらも所有したかったし、理想の形で活用できています」と話します。
「ハルバル材木座」はこの春、はじまったばかり。コロナ禍もあり、「順調に見えるけれど、これからどうなるか分からない(笑)」と笑う伊藤さんですが、先が見通せない時代だからこそ、新しいチャレンジを楽しんでいるようです。
川島さんと伊藤さん、お二人ともに寛容で、「所有」と「利用」を分けて考える、柔軟な考え方をなさっています。そして、縁の下の力持ちというか、若い人や地域のために何かをしたいと考えていたすえに、「家を開く」という結果になっていました。
ただ、家を地域に開くことが、結果としてご自身の人生を豊かにしているというのが不思議です。今まで「住まい」だった場所が、人を呼び、縁を紡ぎ、にぎわいをつくっていく。「家を開く」という選択は、人口が減る時代にかなった有意義な活用法なのかもしれません。