瀬戸内国際芸術祭の舞台、人口800人弱の”豊島”に移住者が増えている! …

「島ぐらし」は不便!それでも移住者が増える理由とは?

豊島への入り口の1つ家浦港の夕景(筆者撮影)

瀬戸内海に「豊島」という島がある。豊島と書いて「てしま」と読む。小豆島の西に位置する、人口768人(2020年国勢調査による)の小さな島だ。「瀬戸内国際芸術祭」の舞台にもなるので、アート好きには知られた島でもある。この島に9日間ほど滞在することになった。住民の高齢化が進むなか、移住者が多い島でもあると聞いて、話をうかがうことにした。

瀬戸内国際芸術祭秋会期中に施設の“助っ人”として訪れて

この島を訪れた理由は、この秋に開業した宿泊兼研修・イベント施設の「豊島エスポワールパーク」を手伝うためだ。「瀬戸内国際芸術祭」2022年秋会期と同時にオープンしたので「助っ人が必要だ」と知人から聞き、手を挙げた。

宿泊棟の全室から海が見える「豊島エスポワールパーク」。ここに助っ人として8日間通った(筆者撮影)

宿泊棟の全室から海が見える「豊島エスポワールパーク」。ここに助っ人として8日間通った(筆者撮影)

「瀬戸内国際芸術祭」とは、2010年にスタート以降3年に1度開催される、瀬戸内海の12の島と2つの港を舞台とする現代アートの祭典。会期中は国内外から多くの観光客が訪れる。豊島にも、豊島美術館や豊島横尾館などの数多くの作品が見られる。

筆者は、豊島エスポワールパークの寮に滞在したのだが、都心と違って建物が少ないからか空が大きく感じられ、空の景色も日々天候によって変わった。夜空の星もきれいに見えた。自然豊かな島ではあるが、あらかじめ「コンビニやスーパーはないので、必要なものは宅配で送るなどしてほしい」と言われていた。

島の中央にそびえる標高約340mの檀山(筆者撮影)

島の中央にそびえる標高約340mの檀山(筆者撮影)

檀山からの景色。右下に見える集落は豊島美術館のある唐櫃(からと)地区(筆者撮影)

檀山からの景色。右下に見える集落は豊島美術館のある唐櫃(からと)地区(筆者撮影)

島に雑貨店はあるが、品数は少なく欲しいものがないときも多い。「観光客お断り」の掲示がしてあるのは、地元住民の買い物を優先したいからだろう。欲しいものがあれば、通販で宅配してもらうか、船で隣の小豆島や岡山県の宇野、香川県の高松に出て買い求めることになる。ただし、船の便の本数は限られる。

一方豊島では、温暖な瀬戸内の気候のもと、米と種類豊富な野菜や果物を育てている。オリーブやミカン、イチゴなどの農園はあるが、それぞれの田畑で育てたものの多くは販売するのではなく、自給自足や物々交換で消費されるものらしい。収穫したものを自宅で食べたり近所に配ったり、そのお返しをもらったりという形だ。

東京で生まれ育った筆者には、なじみのない暮らし方だが、この島には都市部から移住してきた人が多いと聞いて、その理由を知りたいと思った。

まったく変わらない島で、念願だったコーヒーの焙煎所を開業

そこで、豊島エスポワールパーク館長の三好洋子さんに、移住者を紹介してもらった。田中健太さんは単身の45歳。島でコーヒー焙煎の仕事をしている。

「豊島焙煎所」を営む田中さん(筆者撮影)

「豊島焙煎所」を営む田中さん(筆者撮影)

以前は千葉の舞浜に住み、近くのテーマパークに勤務していた。そこを退社後、コーヒーや日本茶の仕事をしたかったので勉強を始めていたが、地域に関わる仕事がしたいと思い、倉敷市玉島の地域おこし協力隊に応募した。協力隊に採用されて担当したのは、朝市(マルシェ)活性化のプロジェクト。

協力隊として商工会議所に所属し、地域の商店とのネットワークを築くことは、将来コーヒー関連の仕事をする際にも活かされるとの思いもあって、2年間働いた。プロジェクトの成果は上がったが、倉敷市は移住するには思っていたよりも大きな街だと分かり、もっと自然の豊かな所で働きたいという思いが強くなった。

そのとき思いついたのが、テーマパーク勤務時代から観光で通っていた、瀬戸内国際芸術祭が開催される島だ。何度も芸術祭で島々を訪れていたが、多くの島がその都度にぎやかになっていくのに対し、豊島は全く変わらなかった。「この島で暮らしたい」と思って仕事を探したところ、「海のレストラン」の新しい店長として採用された。こうして、2018年に豊島への移住が実現した。

店長としてレストランの物品の仕入れなどをするうちに、地域の人たちとのつながりをもつこともでき、レストランの仕事と並行して2年前から念願のコーヒー焙煎の仕事「豊島焙煎所」を始めた。その2年後には店長を辞めて焙煎所に専念し、地元の土産販売店や宿泊施設、飲食店に焙煎したコーヒーを提供している。また、イベントに呼ばれて、屋台でコーヒーの販売をすることも多いという。

「海のレストラン」入社当初は勤務先の寮で暮らしていたが、いまは甲生(こう)地区の一戸建てを借りて住んでいる。「ぼくたちは植松チルドレンと言われているんですよ(笑)」という。なぜかというと、民泊「植松さん家」を営む植松さんが、地元の人に声をかけて移住者が住むための家を探してくれたからだという。

田中さんによると、甲生地区は、豊島の自治会のある3つの集落(ほかに家浦地区、唐櫃(からと)地区)のうち、最も小さい集落だという。人口が減るなか、移住者が増えることは歓迎したい、家の明かりがついているほうが安心できる、といった考えから家探しに協力をする植松さんがいるおかげで、この地区には移住者が多いのだとか。

甲生地区の移住者は同世代が多く、地域ネットワークができている。移住者たちで頻繁に集まって、情報共有などもしている。

田中さんが借りている住まい

田中さんが借りている住まい(筆者撮影)

純和風のお宅で、コーヒーをご馳走になった

純和風のお宅で、コーヒーをご馳走になった(筆者撮影)

妻の条件をクリアして、夫婦で移住。住み続けたいと思える島にしたい

さて、田中さんの取材を終えて、車で安岐石油まで送ってもらった。安岐石油は筆者が通う施設から滞在する寮までの往復途中にあり、レンタカーとレンタサイクルも営んでいるので、自転車を借りようと思ったからだ。店主の安岐さんは、車や自転車を借りに来た人たちに観光ルートを案内したり、開業したばかりの豊島エスポワールパークの紹介もしてくれたりしていたので、顔見知りではあった。

到着すると安岐さんに「田中さんと知り合いだったのか?」と聞かれ、記事にするために取材をさせてもらったと答えると、「それならおっちゃんが移住してきた人を紹介しちゃる」と声をかけてくれた。渡りに船と紹介してもらったのが、川端拓也(43歳)さん、亜希(39歳)さん夫妻だ。

川端さんのマイホームの前で。川端さん夫妻の間にいるのは、民泊を営む植松さん

川端さんのマイホームの前で。川端さん夫妻の間にいるのは、民泊を営む植松さん(筆者撮影)

2人が豊島に移住したのは、2019年11月。豊島移住のきっかけは、やはり「瀬戸内国際芸術祭」だ。拓也さんが旅行で来て、豊島がすっかり気に入ってしまい、知り合いをつくろうと何度も訪れるようになった。檀山に上ったら、凧揚げをしている地元の人がいて仲良くなったりといった具合だ。そのうち、高校の恩師が定年後にUターンして豊島にいると分かったこともあって、真剣に移住を考えるようになった。

問題は当時付き合っていた亜希さんだ。旅行先として豊島に連れてきて、その魅力をアピールした後、仕事を辞めて豊島に移住したいと申し出た。そのとき亜希さんが出した条件が2つある。1つは「仕事を辞めずに続けること」、もう1つが「当面の生活に困らないだけの貯金をすること」。生活の基盤を整えてからなら、移住先についていってもよいということだろう。

その条件はクリアしたものの、移住で最も大変だったのは家探しだった。川端さんは家を買おうと探したが、不動産会社はないし、空き家バンクはあっても、小豆島の物件が中心で豊島の物件はほとんどなく、家探しは難航した。ようやく家浦地区に見つけて契約という段取りになったが、契約日当日にキャンセルになった。移住事態をあきらめかけていたところで、恩師が家探しをサポートしてくれ、いまの家が見つかった。浴室の改修中には、恩師の義理の兄である植松さんの民泊のお風呂をしばらく借りるなど、お世話になっている。

増築して浴室を設けたり浄化槽を設置したりなどの大幅な改修もしたが、拓也さんが床のフローリングを張り替えたり亜希さんが壁に色を塗ったり壁紙を張り替えたりといったDIYも行っている

増築して浴室を設けたり浄化槽を設置したりなどの大幅な改修もしたが、拓也さんが床のフローリングを張り替えたり亜希さんが壁に色を塗ったり壁紙を張り替えたりといったDIYも行っている(筆者撮影)

こうして、川端さん夫妻の豊島への移住が実現した。川端さんはIT関係の仕事をリモートワークで続けているが、亜希さんは東京でのアパレルの仕事を辞め、豊島に来てからは収穫期のイチゴ農家やオリーブ農園などでアルバイトをして生活を支えている。いずれは、自身でつくった食材や島の食材を元にお店をやろうかと計画しているという。

家に併設された倉庫を改造して、拓也さんの仕事場にしている。中では干し柿をつくっていた(筆者撮影)

家に併設された倉庫を改造して、拓也さんの仕事場にしている。中では干し柿をつくっていた(筆者撮影)

川端さん夫妻は、自治会に入り、地域のお祭りや定期的に地域で行う草刈りなどに参加して、地域の人たちとの交流を深めている。自宅の庭で畑をやり始めると、近隣の農家の人たちが寄ってたかって、何をどう育てたらよいかなど助言をしてくれる。川端さんのほうでも、訪ねてくるお年寄りに、スマホの使い方を教えたり車を出したりしている。地域の人たちとは、持ちつ持たれつの関係なのだ。

いま亜希さんは妊娠中だ。今住みたいと移住した島だが、子どもが生まれた後も住み続けたい場所であってほしいと考えている。そこで、川端さん夫妻は移住者たちのネットワークを使って、地域イベントなどを積極的に開いている。例えば、ソーメン屋をたたんだ人から中力粉がたくさんあると聞いて、それを使った「うどんを食べる会」を開いたり、音楽の演奏ができる人を集めて「小さな音楽会」を開いたりして、地域の住民とのつながりを強めているのだ。

島暮らしは不便だらけ、それでも移住する魅力は?

田中さんも川端さんも、島暮らしは不便なことだらけだと口をそろえる。最も不便だと思うのは「島に病院がないこと」というのも、同じ意見だ。島の診療所に週4日、小豆島から医療スタッフが来るが、夜間診療など緊急時に困るという。ただしそれ以外は何とかなる、というのも同じ意見だ。

田中さんは「島への移住は憧れだけではできません。不便だけど、不便を楽しめる人でないと」と、川端さんは「不便だらけだけど、困るほど知恵が沸く。なければつくればよいんです」と。どうやら、豊島の移住者にはこうしたツワモノが多いようだ。

では、島暮らしの魅力は何か? 田中さんは地域の人たちとのつながりのなかで、念願だったコーヒー焙煎の仕事に就けた。店ごとにコーヒーの焙煎を変えるなどしているが、「檀山」や「硯(黄昏)」「硯(彼誰=かわたれ)」などの豊島にちなんだ名前を付けることも多く、パッケージやラベルも手づくりで用意している。以前のレストランとは繁忙期に副業として働くなど、その関係は今も続いている。

ショップ「ナミノミ」で販売されている、田中さんが焙煎したコーヒー。豊島は、瀬戸内国際芸術祭の主要な島でもあるので、芸術祭会期中はもちろん、会期外でも観光客が多く訪れる(筆者撮影)

ショップ「ナミノミ」で販売されている、田中さんが焙煎したコーヒー。豊島は、瀬戸内国際芸術祭の主要な島でもあるので、芸術祭会期中はもちろん、会期外でも観光客が多く訪れる(筆者撮影)

島暮らしの魅力について、亜希さんは「家族感」を挙げた。小さな集落だけに、住民はみな顔見知りだ。緩やかに大きな家族としてつながっているのが心地よいという。逆に「プライバシーを損なわれるのではないか」が気になったが、家族なら生活ぶりを見られても恥ずかしく思わないというので、なるほどと納得した。

そういえば、取材で川端さんの家を訪れたその場に、うわさの植松さんが近所の漁師さんが釣った魚のおすそ分けだとやってきたり、取材中にうどんの会の中力粉を提供した住民が亜希さんに子どもの産着を持ってきたりしていた。川端さんを紹介してくれた安岐さんも、灯油の配達の際に亜希さんが好きなパンを持ってきてくれたりするという。取材時間は1~2時間のことだったので、いかに頻繁に住民との行き来があるかが分かる。

一方、拓也さんは、「東京での生活には手を加えるところがなかったが、豊島での暮らしには余白があるのが楽しい」と言う。移住してきた自分たちでも、集落がよりよくなるためにできることがある。だからこそ、積極的に地域住民と交流するためのイベントを開き、お祭りなどの地域の伝統を継承しようとしているわけだ。

移住者たちは、植松さんの指導の下で棚田で米をつくっている(筆者撮影)

移住者たちは、植松さんの指導の下で棚田で米をつくっている(筆者撮影)

空き家はあるけど、買ったり借りたりできない!?

土庄町(とのしょうちょう)は、香川県の町で、瀬戸内海で2番目に大きい島である小豆島の西北部(小豆島のそれ以外は小豆島町)と豊島で構成される。土庄町は移住に力を入れており、小豆2町(土庄町・小豆島町)で「小豆島移住・交流推進協議会」を運営し、NPO法人Totie(トティエ)と連携してさまざまな移住者の受け入れ支援を行っている。「空き家バンク」や空き家リフォームの補助金なども用意している。川端さんも補助金を利用して、改修費用の一部に充てた。

ただし、空き家バンクは小豆島の物件が多く、豊島の物件はほとんど出てこない。だから、田中さんも川端さんも、家探しに苦労した。もちろん、豊島に空き家がないわけではない。島を歩けば多くの空き家に遭遇する。それでも、買ったり借りたりする家が見つからないということに、筆者はとても驚いた。

空き家はあっても、先祖代々の家を売ったり貸したりしたくないといった所有者自身の意向もあれば、所有者本人が同意したとしても、親戚筋への確認や近所の人たちとの調整などで先に進めない場合も多い。川端さんが最初に契約しようとしていた家も、それが原因で白紙になった。

だからこそ川端さんは、豊島に移住者を増やすために、「空き家を移住者に提供できるような取り組み」(家を探しやすければ移住しやすい)と「地元の人と仲良くなる取り組み」(地元に受け入れられ楽しく過ごせれば移住しやすい)を行っている。空き家を掃除しますと声をかけて所有者を探したりしているが、家の所有者が島外に出てしまい、連絡先が分からない場合も多いという。そうしたときに、地域の事情に精通した植松さんのような人がいてくれることが、とても助かるのだという。

田中さん・川端さんたちが住む甲生地区の穏やかな集落。男木島(おぎじま)が大きく見える(筆者撮影)

田中さん・川端さんたちが住む甲生地区の穏やかな集落。男木島(おぎじま)が大きく見える(筆者撮影)

甲生地区の海岸「ドンドロ浜」。大きなベンチは瀬戸内国際芸術祭の作品「海を夢見る人々の場所」(筆者撮影)

甲生地区の海岸「ドンドロ浜」。大きなベンチは瀬戸内国際芸術祭の作品「海を夢見る人々の場所」(筆者撮影)

移住者の熱意と地元のお節介さんがカギ!?

こうして豊島に移住してきた人の話をうかがって、思ったことがある。島への移住が成功するかどうかは、まずは移住者側の熱意だ。島の暮らしや時間の流れ方に溶け込み、伝統の継承を担うといった気構えも必要だ。加えて、植松さんや安岐さんのような、移住者と地域住民の間を取り持つ“お節介焼き”の存在が欠かせない。

地域住民のなかには、よそ者を嫌う人もいるだろうし、本気で定住するかどうか疑う人もいるだろう。ある意味でお節介なキーマンが間に入って取り持ってくれることで、移住者が島の生活になじみ、それを楽しんでいることが分かって多くの地域住民が歓迎するようになり、持ちつ持たれつの関係になる、というように輪が広がっていくのだろう。

島には70代・80代のお年寄りが多く、人口は減少を続けている。子どもは少なく、小・中学校はあるが、中学校は2016年に小学校に併設となり、今は校舎が空いている。一方で、豊島に移住してきた人たちに子どもが誕生し、自分の子どもに同級生が欲しいと思っている移住者も多いという。こうした移住者のネットワークが、新しい移住者を受け入れる体制を整備し、さらに大きな輪を広げようとしている。

自然豊かな景観や暖かい人との交流は変わってほしくないが、子どもの声がどこにでも聞こえる島になってほしいと思う。

引用元: suumo.jp/journal