10代から海外で修行、日本クライミング界をリードしてきた平山ユージさん
平山ユージさんは1969年生まれ。15歳でクライミングを始めてから瞬く間に頭角を現し、高校生にして国内トップクライマーの地位についた。17歳になるとアメリカで半年間のトレーニングを経験し、19歳でクライミングの本場に身を置くべく単身渡仏、マルセイユを拠点にヨーロッパやアメリカの難関ルートを制覇。
人口壁で行われる競技会に参加するようになると、1998年に日本人として初のワールドカップ総合優勝を果たし、2000年には2度目の総合優勝。53歳となった今も難関ルートを制し続け、国内外のクライマーから尊敬を集める現役のプロクライマーだ。
「二子山の岩場は、世界に比するポテンシャルがある」
「小鹿野町に二子山を中心としたクライミングによる町おこしを提案したのが2008年。当時は形にならずすっかり忘れていたのですが、2018年に町会議員さんから突然電話をいただきました」と平山さん。
平山さんと二子山との出合いは1989年。渡仏中にクライミング仲間から「いい岩場がある」と教えてもらい、一時帰国して登ったときだった。クライミングできるルートは限られていたが、東岳と西岳からなる二子山の雄大さに、整備すれば海外の有名な岩場にも匹敵する場所となる可能性を感じたのだという。
しかし、クライミングルートの整備や開拓は、勝手にできるものではない。
「二子山の所有者の理解や、町の協力がないと成り立ちません。最初はクライミングエリアとして二子山のポテンシャルに引かれたのが大きかったですが、クライマーが訪れたり移住したりする経済効果や、クライミングというスポーツによる住民の健康やコミュニティ促進は、町の発展にも貢献できると確信して企画を提出しました。埼玉の郊外にある秩父、小鹿野町はどうしても少子高齢化が進んでいきますが、都心部からほど近い広大な自然は、町の貴重な資源。クライミングならその資源を十分活用できますから」(平山さん)
町への提案から10年、「クライミングで町おこし」がスタート
提案から10年ほどたった2018年、平山さんは小鹿野町観光大使を委嘱された。
「町会議員に当選したばかりの高橋耕也さんが、過去の企画書を見つけて電話をくれました。少子高齢化問題が明らかになってきたこと、東京オリンピック競技種目にスポーツクライミングが選ばれたこと、町の再生を志す若い世代の議員が当選したこと、いろいろな事柄がうまくはまったのがこのときだったのでしょうね」(平山さん)
そして、平山さんたちクライマーが町に通い続けていたということ。
「企画を提出したことをすっかり忘れていましたが、頻繁にクライミングには来ていました。顔なじみになった、『ようかみ食堂』の店主が高橋議員とつないでくれました」(平山さん)
平山さんは、早速二子山でクライミングエリアの整備を進めるため、クライミング仲間と地元住民による小鹿野町クライミング委員会を2019年に発足。2020年には一般社団法人小鹿野クライミング協会とし、2022年現在は会長職を務めている。
また、同時期に町営クライミングジムのオープンにも、平山さんは深く携わることになる。
小鹿野町役場の宮本さんにお話を伺うと、「閉館が決定した県営施設の埼玉県山西省友好記念館を残してほしいとの地元の声を受け、町では再利用方法を検討していました。『クライミングで町おこし』を実行するタイミングと重なり、平山さんの全面協力のもと、初心者にも上級者にも楽しんでもらえる本格的クライミング施設が誕生しました」とのこと。
「両神山や二子山といった町自慢の観光資源は、天候に左右されやすい弱点があります。充実した室内施設があれば、国内外のクライマーが長期滞在をプランニングしてくれるきっかけになると考えています」(宮本さん)
神怡舘の運営を任命された宮本さんの所属は「小鹿野町おもてなし課 山岳クライミング推進室」。「クライミングで町おこしをする」町の本気度が垣間見える部署名だ。クライミング経験なしだった宮本さんにとっては若干無茶振り人事だったものの、2年でインストラクターも務められるようになったそう。
「クライミングは小中学校の体育の授業にも採用されていて、ハマって通う生徒も多いですよ。職場のクラブ活動としての利用も盛んです」と宮本さん。「クライミングは老若男女が楽しめる素晴らしいスポーツ。ルートごとにレベルが設定されているので目標を決めやすく、お年寄りでも無理なく続けられます。小学生と大人がここで友達になって、競い合い励まし合う姿も日常の光景。神怡舘は住民の健康増進とコミュニティづくりに、とても大切な場所になっています」(宮本さん)
二子山への入山者が1.7倍に。コロナ禍で増加の事故にもクライマーの知見を活かす
2019年に約4000名だった二子山の入山者数は、2021年に約6800名と急増した。コロナ禍によるアウトドアブームの影響もあるが「2018年までも4000~5000人程度でした。入山者全員がクライマーとは限りませんが、クライミング専門誌に二子山新ルートが紹介された途端、一気にクライマーが増えた実感があります」(宮本さん)
2022年のゴールデンウイーク前後は「びっくりするほど多くのクライマーが二子山に来てくれました」と平山さん。「クライマーの飲食店や温泉の利用も増えて、喜んでいます」(宮本さん)
一方で、一般登山者による事故の増加も顕著になった。
「コロナ禍でアウトドアを始める人が増え、さらに接触を避けての単独行動も増えたことが大きな要因です。上級者と安全確保しながら登るクライミングよりも、ハイキングや登山での事故が圧倒的に多いのです」(宮本さん)
その対策として、町の消防署と小鹿野クライミング協会による情報交換会が開かれている。
「山をよく知るクライマーと救助のプロ、それぞれの立場から危険な場所やヘリコプター救助時の誘導方法などについて、実りある情報交換ができました。両神山や二子山などの大自然を、多くの人に安全に楽しんでもらいたいですね」(宮本さん)
町になじみ、広がっていくクライミングの魅力
平山さんたちクライマーの町おこし活動は、クライミングの枠をはみ出し始めている。
「今年の尾ノ内氷柱づくりには平山さんたちに協力してもらいました」(宮本さん)
尾ノ内氷柱は、尾ノ内渓谷の沢から水をパイプで引き上げてつくられる人工の氷柱群。高さ60m、周囲250mに及ぶ氷柱群がライトアップされた幻想的な風景は、冬の一大観光スポットだ。
「高所での作業は大変危険ですが、クライマーにはお手のものです。地元に恩返しできるいい機会でしたし、作業を任せてもらえるのもクライミングが町になじんできたからかと思うと、うれしかったですね」(平山さん)
「企画の打ち合わせやイベントの出演や、クライミング以外でもしょっちゅう町に来ています」(平山さん)
「小鹿野町の将来像は、ヨーロッパの有名クライミングタウン」(平山さん)
10代から世界の名だたる岩場を登ってきた平山さん。「小鹿野町を世界中からクライマーが集まる場所にしていきたい」と語る小鹿野町の将来像は、ヨーロッパの街。例えば「イタリアにあるアルコ。100を超える岩場に数千のルートがあり、クライマーなら一度は訪れたい憧れの街です。滞在中はクライミングだけでなく、中世の街並みでの散歩や、おいしい食事やお酒も楽しめる。住民のクライミングへの関心も高いので、すぐに仲良くなれます」(平山さん)
「二子山の開発から数年たって、小鹿野町にもクライミングが浸透してきたように感じています。日本の小鹿野町が、欧米に並ぶクライミングスポットになる、未来へのルートが見えてきました」(平山さん)
アウトドア以外でも、小鹿野町には古き良き日本の姿がある。有名なのは江戸時代から続く庶民の歌舞伎。農家直売所には新鮮な野菜が並び、商店街では地酒・地ワインも手に入る。疲れた身体を癒やす温泉と、おもてなしが温かい飲食店も点在している。
二子山は世界にも誇れるクライミングスポットとして成熟中だが、「町に宿泊施設がもっと必要」と平山さんの先への課題は明確だ。欧米のようにキャンプ場や自炊できる民泊、コンドミニアムが増えれば、長期滞在も気軽になってくる。
ほんの数年で進化を見せている小鹿野町のクライミングシーン。さらに注目が集まることで宿泊の整備も進み、滞在者や移住者が増え、小鹿野町出身のクライマーが世界で活躍していく、そんな未来もすぐそこなのかもしれない。
※訂正:22年7月1日、読者のご指摘により一部修正をいたしました。
小鹿町→小鹿野町