小路につくったバルをきっかけに土地の価値が上がった
東海林さんは、秋田県美郷町出身です。東京で学生生活を送った後、デザイン事務所に就職。店舗デザイナーをしながら、秋田の仕事も手掛けているうちに、だんだんと秋田の仕事が増えていったといいます。2004年に秋田市に帰り、2006年にSee Visionsを設立しました。
東海林さんが手掛けたのは、「酒場カメバル」、レストラン「サカナ・カメバール」、コーヒースタンド&デリ「亀の町ストア」を設けたヤマキウビル、そして、2019年のリノベオブ・ザ・イヤー「エリアリノベーション部門」を受賞した複合施設「ヤマキウ南倉庫」、ほかにも県内の注文住宅建築事業者と施主を結ぶ「JUU」、また秋田市のフリーペーパー「OTTO」の企画・編集・デザインなど多岐にわたります。
東海林諭宣さんによるエリアリノベーションのはじまりは、2013年にオープンした、亀の町の小路にあった空き店舗をリノベーションした「酒場カメバル」(スペインバル)です。JR秋田駅と繁華街の間に位置する南通(みなみどおり)地区にあります。
亀の町は、商店街の中心からはずれた住宅街の入口付近の小さなエリアで、空き店舗が目立ち、小路は夜になると薄暗く地域の人は「治安が悪いから」と通るのを避けていました。街歩きが好きで、「飲食店の面白さは、街の楽しさの重要なファクター」と感じていた東海林さん。当時、事務所は亀の町から500mくらい離れた場所にあり、散歩中に、後に「酒場カメバル」になる古い長屋を見つけました。直観的に「ここを飲食店にしたら面白いのでは」と考えた東海林さんは、知り合いに紹介しますが、蜘蛛の巣がはった長屋を使ってくれる人はいませんでした。そこに、なぜデザイン会社の自主プロジェクトとして酒場を手掛けようと考えたのでしょうか。
「酒場が人の集まる拠点になったらいいなという思いですね。東京では、ガラス張りで中のにぎやかさが外に漏れるようなデザインの飲食店がよくありますが、このあたりでは、窓から見えると、『あそこで飲んでいたでしょ』と言われちゃう。オープンな店舗デザインは好まれず、酒場は個室が人気でした。でも、ぼくはある程度オープンでやってみたかったんです。客同士やマスターと情報交換したりすることによって、地域を好きになったり、その場所が好きになったりしますよね。そういったことが小路を入ったところなら、できるかもしれないと思いました」(東海林さん)
開店すると、秋田市におしゃれな場所ができた! と話題になり、若い人たちが集まる場所に。「酒場カメバル」に続いて、その向かいにワインと魚介料理の「サカナ・カメバール」をオープンしました(現在は閉店)。さらに2015年に、近くにあったヤマキウビルをリノベーション。1階にコーヒースタンドとデリの「亀の町ストア」とクラフトビールのテナント、2階に貸しオフィス、3階にはSee Visionsの事務所が入居しました。小路に若者が集まり、地域の人も小路を使うようになりました。
「ぼくが街歩きで面白いと思うのは、市民の方々が日常使いする場所。できれば触れ合うことが出来て、情報が得られるような場所があるとまた訪れたいなって思う。関係性ができることが大事。そういった意味でバルは非常にいい関係性づくりの場所だなと思っているんです。お酒を飲むと自分のやりたいことやスキルを話し出す。それ一緒にやりましょうって話になったりしますから」(東海林さん)
通りがにぎわうようになると、飲食店が次々オープンして空き店舗がなくなり、2012年に4件だった亀の町南通の土地の取引件数が2016年には16件に。その火付け役として「酒場カメバル」が新聞に取り上げられ、亀の町がおもしろい場所だと認知されるようになりました。
消費される場所でなく関係を生み出す場所「ヤマキウ南倉庫」
2019年には、ヤマキウビルと同じ敷地にある築42年の倉庫を大規模リノベーションしてできた「ヤマキウ南倉庫」がオープン。「KAMENOCHO HALL KO-EN(カメノチョウ・ホール・コーエン)」を囲むようにテナントやオフィス・コワーキングスペースを配し、訪れた人が“公園”のように思い思いに過ごすことができる複合施設です。この施設は、建物の設計からグラフィック・ウェブのデザイン、そして施設管理・企画運営まで手掛けています。
単なる話題のスポットで消化されてしまわないよう、テナントは、壁紙を提案するお店や家具屋さん、花屋さんなど訪れた人の生活のクオリティーを上げるようなお店を選んでいます。あらゆる人が積極的に関わる仕組みづくりにも時間をかけました。「ヤマキウ南倉庫」には、この場所をより良く、より楽しくしていくため、テナントの入居者同士がアイデアを出し合い、事業を計画する自治会が存在しています。
「ヤマキウ南倉庫のコンセプトは、『SYNERGY(相乗効果)』。僕らは運営のプロじゃないので、除雪費用が思いのほかかかるとか、想定外のことや追加の経費が出てくるんですよね。倉庫を自分ごとに考えてもらい、そういった課題を解決するために自治会を自分たちで運営してもらっています。イベントや集客活動に関しても自治体が主体になっているんです」(東海林さん)
イベントには、See Visionsの若手が参加し、サポートをしています。当初は、「亀ノ市実行委員会」という名前でイベントをしていましたが、最近、「ノ市実行委員会」という名前にしました。「ノ市」の前に、例えば、開催場所が駅前であれば、「秋田駅前ノ市実行委員会」として駅前の商店街の人と一緒につくりあげていきます。イベントに皆が自分ごととして関わることで、新しい関係が生まれているのです。
地域の事業者で若者が活躍できる場所をつくる
ヤマキウビルとヤマキウ南倉庫のリノベーションで、東海林さんは忘れられない思い出があるといいます。それは、株式会社ヤマキウの小玉社長との出会いでした。
「ヤマキウビルのプロジェクトは、事務所が手狭になったので、一緒に店舗も構えて面白い場所にできたらいいなと考えたのがスタートでした。空きビルになっていたヤマキウビルなら面白いことができると考え、所有していた株式会社ヤマキウに飛び込みで提案書を持っていったんです。テナントも3社候補を上げて、『自分たちで大きな借金はできないので、投資して家賃で回収していただけないでしょうか』と。最初はもちろん門前払いでした。でも、息子さんがたまたまカメバルに飲みに来てくださったんです。隣に座って資料を広げてプレゼンをしました」(東海林さん)
建物を残したいという気持ちが強かった小玉社長は、今まで「買いたい」という話があっても断っていましたが、東海林さんが改めて提案書を持っていくと、「そのままの形で活用でき、投資をして若い人が面白いことができるようになるなら」と了承してくれたのです。
ヤマキウビルでは建物に3600万円、ヤマキウ南倉庫では、1億5000万円もの投資をしてくれた小玉社長は、ヤマキウ南倉庫の完成を待たずに亡くなりました。
「小玉社長が常々言っていたのは、『その場所で土地を活用していたオーナーとして利回りが低くてもやるべきことはあるし、若い人たちが活用して、楽しい環境をつくるのを支えるのが地域に住む人の責務だ』と。まさにその通りだなと。僕は、小玉社長にヤマキウ南倉庫を託されたと思っているんです。土地の所有者が使いたい人に利回り10%位の投資をすることによって、地域はどんどん活用できるんです。そういうやり方で街が元気になることを伝える伝道師にならねば、と」(東海林さん)
若者の「やりたい」を応援するおじさんでありたい
街がどんどんよくなっていく手ごたえを感じている東海林さん。カフェや居酒屋をやってみたい人を応援するシェアキッチン「亀の町アップトゥユー」や商店街の空き店舗にお店を開いていく「あける不動産」をはじめ、商店街組合の意識改革をして新しい街を生み出すための町内会「亀の町町内会」を企画中です。次にやりたいのは、宿泊事業。有形文化財に登録されている古い旅館の建物を再生するプロジェクトが始まっています。
「若者には、やりたいことは、諦めずにやった方がいいよと言いたいです。若い人が事業を始めた時って1000万円借りるのもできないんですよね。ぼくが最初に小玉社長に提案書を持って行った時も、店舗経営の実績はなくて、勇気だけある状態。若い人の気持ちがすごく分かります。先人の事業者として、ヤマキウビルやヤマキウ南倉庫で使った枠組みを広めたいんです。貸すのを不安に感じるオーナーさんに、若い人のやりたいことを説明して、間に立って、若者の背中を押してあげる、そんなおじさんでありたいと思っています」(東海林さん)
亀の町を越えて広がりつつある東海林さんのエリアリノベーション。原動力は、「自分たちの生活しているエリアが楽しい環境になってほしい」という願い。建物や場所だけでなく人の関係をもデザインする人間味が街をあたためているのだと感じました。