自分の家をつくる楽しさを知ることで、人生がよりよく変わる
「アパートキタノ」(東京都・八王子市)は京王線・北野駅から徒歩約10分の、ゆるやかな坂の上に立つ賃貸マンション。当初、投資用に購入したオーナーですが、都心から距離があるなどの立地条件から賃料を下げることでしか価値付ができず、困っていたそう。そこで相談したのが建築家の加藤渓一さんです。
「こうした場合、賃料を下げるのが常套手段ですが、もっとプラスの価値を付けたいと思いました。そこで約18平米のワンルームの片方の壁と床に合板を張り、その部分だけDIYできる賃貸住宅を提案したんです。
もともとALC板の壁だったので、合板を張り付けることによりクギが打ちやすくなるなどのメリットが出ますが、オーナー側からすれば部屋中すべてDIY可能にすると『何をされるのか』と心配になるし、退去後に改修費がかかります。範囲を限定し、安価で簡単に取りかえられる素材を使うことで管理のハードルを下げ、DIY賃貸を導入しやすくしました」(加藤さん)
「住み手」と「施工のプロ」が肩を並べて家づくりする「ハンディハウスプロジェクト」を主宰する加藤さん。「アパートキタノ」にも同様の思いがあるそう。
「日本だとなかなか文化が定着しませんが“自分で考えたものを自分でつくる”のは本来、楽しいものだと思うんです。住まいへの理解が深まり、完成後の暮らしも変わって来ます。
オリジナリティを出すことが許されない賃貸住宅は、これを阻む最たるものですが、多くの人が最終的に『家を購入』する現実を考えると、その手前の『賃貸住まい』が『練習場』になったほうがいい。DIYに挑戦することで感性を磨き、これからの住まいとの関わりを良好にしてもらえたらと思いました」(加藤さん)
「与えられたものを受け入れるのではなく、クリエイティブな力をつけることが、これからの時代の豊かさになるのでは」と語る加藤さん。このコンセプトにオーナーも賛同。2018年からスタートし、今では47戸中15戸がDIYできる部屋として貸し出されています。
入居者に特別な条件は設けていませんが、集まるのは手を動かすことや発想することが大好きな“表現者”ばかりです。
部屋は好きなものやアイデアを自由に試せる、小さな実験場
「どこにもない秘密基地のような“自分だけの部屋”が欲しいと、ずっと思っていました」と話すのは、大学の建築学部に通うマサさん(仮名・20歳)。
進学と同時に初めて一人暮らしを始めた物件では、オーナーの許可を得てDIYをしていましたが、ごく一般的な賃貸アパートだっただけに「原状回復」がネックとなり、限界を感じていました。
そんな時に知人からこの物件の存在を聞き、約1年前に引越してきました。
「授業では設計のアイデアを膨らませても実際につくることはないのですが、この部屋では『やりたい』と思ったことにのびのびとチャレンジできます」(マサさん)
「大学で学んだ建築の意匠や、ドラマを観て着想したことを形にした」という部屋は、壁に本棚や小物入れ・工具などが美しく収められており、日常のアイテムをインテリアとして昇華させたさまは圧巻です。
マサさんにとってDIYは、自分を表現する手段。部屋を見てもらうのは自己紹介と同じ感覚なのだそう。
最初に構成を決めるよりは、考えながらつくる方がアイデアが浮かびやすく、一度取りつけた本棚を数日後にわずかに移動させてみるなど、日々、アップデートしています。
「DIYをきっかけに暮らしを楽しむ感覚が芽生え、料理や家庭菜園などにも挑戦するように。また、こだわった部屋を自慢したくて、友人を招くようにもなりました。アパートキタノに住んでから人とのつながりも含めて暮らし全体が彩られていっているように感じています」(マサさん)
「アパートキタノ」には工具や端材が置かれた共用の倉庫があり、外のウッドデッキでも作業が可能。入居者が自然と顔を合わせるため、作業を助け合ったり、ノウハウを聞いたりできると言います。
「DIYについて教えてもらううちに打ち解けて、一緒にご飯を食べに行くことも。部屋を見せてもらうこともあるのですが、同じ間取りなのにまったく趣向が違うので刺激を受けるし、モチベーションになります」(マサさん)
第二の住まいを図書館として開放し、サードプレイスを目指す
学生時代から街づくりや地方の若者の雇用問題に関心を向け、各地の無人駅を間借りして本屋にする「無人駅をめぐる本屋」や「歩く本棚」の名でイベントに出店している堤 聡さん(30歳)。
夜勤が多い会社で働いており、「第一の住まいは会社施設」「第二の住まいは自宅」という、デュアルライフを送っていました。持て余し気味の自宅と本を「住み開き」で活用できたら、と思っていたそう。そんなときこの物件を知り、やってきたのが昨年11月。
コロナ禍で足踏みしたものの、同じマンションの住人限定の「人んち図書館」をこの4月にオープンしました。
「家賃は約5万円ですが、そのうち2万はライブラリーの場所代、残り3万は住居費と思えばかなりお手ごろ。
図書館は今後、『アパートキタノ』の入居者に向けて、週1回ほどの間隔で開放する予定。『自宅に不特定多数の人を入れるのはどうかな』という気持ちがあったのですが、単なる顔見知りとも違う、DIYなどを通して友達レベルで知っている人ばかりなので、安心感を得られるのが良いですね。
とはいえ普通の賃貸アパートだと、少しでも変わった取り組みは敬遠されたでしょう。やりたいことを柔軟に聞き入れてくれる『アパートキタノ』だからこそ実現できたのだと思います」(堤さん)
本来、壁と床を取りつけてもらった状態で入居しますが、堤さんは「せっかくなら」とハンディハウスと一緒に合板を打ちつけるところから始めました。
プレーンなシナに味のある古材を合わせてオープン棚を造作。ジャンルごとに本を分けつつ、目を引く表紙は面陳(めんちん)するなどして、訪れる人の興味をそそる置き方にしています。こうした工夫ができるのも、DIY型賃貸住宅だからこそ。
「1人もいいけど何となく誰かと過ごしたいときってあると思うんです。そうしたときに学校でも家庭でもない第三の居場所として、気軽に来てまったりしつつ、考えをまとめたり、新しい発想を浮かべたりしてもらえたら良いなと思います。
ここは本がメインですが、料理ができる部屋・映画を楽しめる部屋など、テーマに特化した部屋がほかにも現れると面白そう。モデルケースがあると『出来るかな』と思えるものなので、自分がその契機になれたらうれしいです」(堤さん)
生き生きと語る堤さん、マサさんからは、「アパートキタノ」がアクションを起こしたい人のやる気と想像力を促す土壌になっていることが伝わってきます。
現代のアプリとウッドデッキ・ピザ窯でコミュニティが充実
「アパートキタノ」では、アプリ「Slack」で入居者同士が交流できるようにもしているため、スムーズかつほどよい距離感で付き合えるそう。ご近所のおいしい飲食店や、緊急時に防災情報を伝えたり、イベントの声かけをしたりと役立てています。
この3月にはマサさんが中心になって、ウッドデッキ横にピザ窯を製作。ここではしばしば、食事会が催されます。「お花見とピザの会」(4月10日開催)をのぞかせていただきました。
「Slack」で日程と料理を決めたら、基本の材料を集まれるメンバーで買い出し。食べたいものやシェアしたいものがあれば、それぞれがゆるく自由に持ち寄るスタイルです。昨秋「サンマの会」をしたときは、煮つけや日本酒・お漬物・たこ焼きが並んだと言います。
「大学生をしていると『大学』と『アルバイト先』に人づき合いが限られてきますが、ここにきたことで、もうひとつの居場所を持てたと感じます。年代が違ったり、目新しい活動をしていたり、自分とは異なる人たちと出会えるのがうれしいですね。
いつも会っている訳ではなくても、存在として大きいものだなと感じます」(マサさん)
例えば「バーベキューがしたい」と思っても、準備などを考えると実際はハードルが高いもの。でもふらりと集まれる広場と一式の道具類、アプリがそれを可能にしているよう。
DIY型賃貸住宅というハード面の強みと、コミュニティを促すバックアップ体制、そこに意思のある人々が加わることで関係性がすくすくと育ち、入居者のクリエイティブな世界を広げていると言えそうです。
●取材協力
アパートキタノ
HandiHouse project
人んち図書館